移民の多いカナダでは留学生がきたことで特別扱いなどしない。最低限の語学レベルの芳賀にとって苦しい毎日が続いた。
毎朝行われている特別講座に顔を出し、猛勉強を重ねた。並々ならぬ努力の末、卒業時にはアベレージ80%を超える好成績で学校から表彰を受けるまでに成長していた。
芳賀が帰国したのは平成12年の8月、かつての仲間達がすでに卒業したあとのことだった。
そんな芳賀を遊学館は以前と変わらず暖かく迎えてくれた。同月8日、たったひとりの卒業式が校長室で行われた。「ご苦労様」先生達の言葉が胸を打った。
モデル業と大学を平行していた芳賀は卒業が近づくにつれて悩んだ。本当にこの夢を追いかけていても良いのか。
そんなとき旅先の中国でみた貧困のなかでも活気に溢れる人々の様子が、勇一の悩みをちっぽけなものに変えた。そして単身ロサンゼルスの俳優学校入学を決意する。
帰国した芳賀はこう語る。
「人生、山あり谷あり険しい道を歩んだ者ほど、良い演技をできると感じました。
あの頃は言葉にできないぐらい苦しかったけど、ハリウッドに戻るにはもっともっと険しい道を選択しなければならないと思います。
だから今は日本でとことん苦しんで力をつけてやろうって思っています。」
現在、芳賀は東京と金沢の事務所に所属しモデルとして活動。また中継リポーターとしてTVのレギュラー番組をかかえている。
「来るものは全部挑戦して経験を積んで、俳優への夢につなげられればと思っています」
つまづいても、芳賀は何度でも立ち上がり、夢を追い続ける。
〈2007年8月〉