進路情報教師を目指す卒業生

【対談】教諭 森賀康裕 × 卒業生 田中将希

森賀康裕(本校教員、保健体育科、男子駅伝競走部顧問)

田中将希(たなか・まさき 2014年卒業、男子駅伝競走部出身、本校教員)

高校時代の田中さんはどんな生徒でしたか?

M:
本校への入学試験の成績がトップで、入学式では宣誓を述べる役回りに選ばれました。在学中も成績優秀で、部活動においてもキャプテンとして活躍し、自分の考えをはっきりと言える生徒でしたので、卒業式では卒業生総代を務め、答辞を述べてくれました。
T:
男子駅伝競走部の部活に打ち込んだ3年間でしたね。途中、けがで苦しんだ時期もありましたが、遊学館高校は先生と生徒の距離が近く、森賀先生や担任の先生には、いろいろと相談に乗っていただきました。さまざまな面でサポートしていただいたことで本当に助けられました。

男子駅伝競走部で過ごした3年間、思い出もいっぱいありますね。

M:
田中君の学年と、一つ上の学年。あのころは本当に厳しい指導を重ねていました。県大会にとどまらず、全国に通用する実力を持った世代で、精神的にも肉体的にも厳しいトレーニングを繰り返しましたが、よく踏ん張って耐えてくれました。
T:
中学校から陸上を始め、さらに上のステージを目指して遊学館に入学しました。中学校3年生の時に遊学館の部活体験に参加し、県内で一番強い男子駅伝競走部に入りたくて、遊学館への入学を決めました。入部してからは、厳しいトレーニングについていこうと必死でしたね。先輩たちが優秀な成績を残されたので、これをさらに飛躍させたいと歯をくいしばって日々のトレーニングを重ねた結果、1年生の秋に大腿骨頚(けい)部を疲労骨折してしまいます。両足とも骨折し、落ち込みましたが、先生や先輩、同期の仲間に励まされ、最後まで部活をやり遂げることができました。

3年生の時には、日本一を決める全国高校駅伝競走大会に出場、アンカーを務めます。

M:
本人は頑張りすぎるくらい、頑張る子でしたから、痛みを我慢しながら、頑張らなくてはと練習を重ねた結果、無理をしてしまった。けがで走れない時期もありながら、キャプテンに選ばれたのは、周囲がその頑張りを見ていたから。「田中がいうのなら」とだれもが納得して、チームがまとまっていった。それだけに高校3年生の時に、京都の全国高校駅伝でアンカーを務めて健闘したのは本当に素晴らしい。
T:
自宅が小松市でしたので、通学にはどうしても時間がかかってしまう。練習に集中したくて、「オレンジハウス」での寮生活を選びました。午前6時には朝練が始まりますから通学するのは無理でした。寮には、駅伝競走部だけではなく、野球部、サッカー部の生徒たちもいて、みんながそれぞれに苦しい時期を支え合うことができました。激しい練習は肉体的に辛く、けがをした時には精神的にもナイーブになりましたが、みんなで食事をともにし、一緒に風呂に入った時間を通して、一人じゃないんだという感情を共有できました。寮生活があったからこそ、苦しい時期を乗り越えられたと感謝しています。

教育実習で教壇に立ってみて、どんなことを思いましたか?

T:
「人を育てる」という仕事がこんなに大変なんだということに改めて気づきました。授業に加えて、部活動も指導するとなると、時間にも追われる。高校時代を振り返ると、先生に迷惑ばかりかけていたなと反省しています。後輩たちをみると、気が優しくおとなしい印象を持ちました。優しさを持つことは大切ですが、自分が厳しい環境に置かれた時に、心が折れてしまわないかという心配があります。
M:
今回、田中が教育実習に来てくれたことで、歳も近く、学校の先輩でもあり、私と同じことを指導するにしても、生徒たちは素直に受け入れやすいのではないかと期待しています。
T:
社会で生きていくには、人とのコミュニケーションがとれなくてはいけません。どれだけ勉強ができてもダメなんですね。遊学館で「あいさつ」を大切にする教育を受けたことが、大学進学後も役立っています。生徒たちには勉強するだけでなく、人前で意思をしっかりと伝える能力を身につけ、あいさつをきちんとできるような人になってほしいと思っています。
M:
その通りですね。携帯電話やSNSの普及で、生徒たちは人と直接対話することが苦手になっているように思えます。それでは、社会に出てから苦労する。生徒には、部活の時も「単語だけで会話を終えるのでなく、きちんと文章にして相手に伝えなさい」と指導しています。今は厳しさだけでは、生徒たちに伝わらないので、部活のミーティングでもコミュニケーションをとるように心がけています。練習後は、各学年の代表が練習中の反省点を全員の前で発表します。生徒たちに個人差はあるものの、卒業するまでには人前でしっかりと話ができるよう指導を重ねたいと思っています。

こんな教師になりたいというイメージや、将来の目標はありますか?

T:
僕は数学を専攻していますので、数学を通して自分の考えを伝えるということができるような人間に育ってほしいと願っています。社会で生きていくうえで、人が守るべきことを伝えられる教師になりたいと思っています。数学を通して「自分はこういう考えでこんな式を作りました」、「自分はこんな答えを導き出しました。その理由はこうです」と論理を展開して、相手に伝えられる人を育てたいですね。
M:
一度授業を見に行ったのですが、将来は教師となって、授業はもちろん、陸上競技も指導できる人材になってほしい。本人は高校時代から、教職に就きたいということでしたので、いずれはこの学校に戻り後輩を指導してほしいとの思いを込めて、大学に送り出しました。数学を教える技術と陸上を指導できる技術を大学でしっかりと身につけてほしいですね。先日は教育実習で教壇に立っている姿を見に行きました。
T:
先生が授業を見に来たときは驚きました。まだまだ教える技量も高くありませんし、あとでダメ出しされるなと思ってドキッとしましたよ(笑)。
M:
プレッシャーをかけてしまうかな、どうしようかなと思ったけど、一度晴れ姿を目にしたかったからね(笑)。ダメ出しすることもありません。堂々として、立派でした。
T:
ありがとうございます。人に教えるということの難しさを感じる一方で、高校時代から目指していた教師の仕事にはやりがいを感じています。遊学館での3年間で先生方の教えを受けていなければ、教師を目指してはいなかったと思います。自分が高校時代に悩んだことや苦しんだ経験を伝えることで、困難に負けない生徒を育てたいですね。